『恋文の技術』と『隣りの女』


2011年最後のブログ更新となった。
もう少しせっせと書けば、文才が無いなりにも、もうちょっとましな日本語が書けるようになるかもしれないが、結局今年も月刊にすらできず、文章の腕も上がらなかった。
というわけで、せめて最後は本の紹介で知的に一年を締めくくろう!


以前も書いたが、最近は気楽に読めて元気になれる明るい作品を好んで読んでいる。
私の中での勝手な大ブームは森見登美彦だ。
最初にデビュー作の『太陽の塔』を読んで、いっぺんにファンになってしまった。
この作品は日本ファンタジーノベル大賞に選ばれているのだが、物語には魔法も超能力も出てこない。
あるのは、自分を袖にした女性への未練と妄想にもがく、へたれな男子学生の「男のファンタジー」である。
最初は主人公の方向違いな奮闘ぶりに大爆笑していたが、次第に作者の筆力のすごさに圧倒されるようになった。
このへたれ男子学生シリーズはデビュー以降しばらく続き、私は次々に手に取って読んでは腹を抱えて涙を流した。


その中で一番のお気に入りは、『恋文の技術』である。
枕元に単行本、通勤カバンの中に文庫本を入れて、読みたくなったらいつでも読めるようにしている。
書簡スタイルなので、どこから読み始めても楽しい。表紙のイラストもとってもかわいい。


森見さんは今、体調を崩されて少しお休み中と聞いている。
ここ「はてな」でブログを書かれており、拝読する限りでは、少しずつ元気になっているご様子である。
ファンとしては嬉しいお話である。
焦らず無理をせず、ご回復されることを心よりお祈り申しあげます。


一方で、私が今つとめて避けている小説がある。
人間の心の奥に潜んでいる、または隠している負の感情や矛盾をえぐりだすような作品だ。
以前はそんな作品も躊躇せずに読んでいた。重い結末でも平気だった。
でも今は、心の弱いところが破れて血が噴き出しそうな怖さを感じる。
私の日常は、子育てと家事と仕事で、毎日てんこ盛り状態だ。
それでも元気なら持ちこたえられる。
だから、今はどこにいても誰といても、なるべく笑っていたい。
何も自分から、怖いものに近づくことはないのだ。


にもかかわらず、私はつい先日、何かのついでに書店に入り、よく考えずに向田邦子の『隣りの女』を買った。
読みだしてすぐに、「やめたほうがいいかな?」と思い始めた。
しかし、時すでに遅し、である。短編集なので、一作品ごとに「これ読んだらやめようかな」と思っている間に読み終えてしまった。
短編は5つ。それぞれに、恋人、夫婦、家族を描く。作品はどれも、どこか暗い。
テレビのCMに出てきそうな、いくつになっても仲睦まじい夫婦も、姉妹のような母娘も出てこない。
血縁ゆえの愛憎、不幸を予感しながら別れられない男女。
登場人物が心に秘める濁った本音を、作者はためらうことなくはっきりと言葉にする。
その描写は、リアル、とか、赤裸々、いったわかりやすい言葉では言い表せない。
ぴったりではないが、近いものとしては、「凄み」、であろうか。


不思議な感覚である。
笑い飛ばせる場面など一か所もなく、読後に心が温まる感じもしない。
やっぱり「ちょっと怖かった」のだが、物語に容赦なく綴られた不条理に、かすかな怒りを覚えつつも、「なんでだろうね。でもそうなんだよね」とうなづく自分もいる。
それは正直なところ、あまり嬉しい感覚ではなかった。
でも同時に、自分の生きる場所を大事にしようとも思えた。
『恋文の技術』とはまったく色の違う作品だが、ありふれた人間の悲喜こもごも、という点では似ている。
作者が注ぐ、人間の弱さへのまなざしが温かいところも。


泣くほど笑いたければ『恋文の技術』、足元を見つめなおすなら『隣りの女』。


それでは、みなさま、どうぞよいお年を。
2012年も、よかったらお立ち寄りください。