子どもが学ぶのに「通学」は絶対に必要なのだろうか?

東大の先端研が始めたROCKET(異才発掘プロジェクト:http://rocket.tokyo/)をご存じだろうか。
突出した能力があるのに、学校に馴染めず不登校傾向の小中学生を対象とした人材発掘・育成プロジェクトだ。
当初の予想をはるかに上回る反響があり、申込期間を数か月延長するほどだったとのこと。
この話を聞いて、以前からぼんやりと疑問に思っていたことを書いてみることにした。

なぜ、学校に物理的に通わなければ、学校教育へのアクセスの機会を全く得られないのだろう?

不登校の子供たちへの学習支援を考えてみる。
不登校の子どもたちは勉強嫌いとは限らない。上記のROCKETが良い例だ。
日経新聞の記事によると、文科省の調査では不登校の中学生のうち、学習意欲がある子どもは4割に上るという。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1203R_S3A710C1CR8000/
学習意欲がありながら「学校に行けない」子どもに対して、「だったら学校に来なさい」という答えしかないのは厳しすぎる。
熱意のある担任にあたれば少しはましだろうが、ただでさえ多忙と言われる教師に頼るのも限界があるだろう。

文科省は、義務教育では「人格の完成」も目的としているので、社会性を身に着けるためには通学するべき、という考え方もあるだろう。
だが、登校を目指そうにも、それまでに開いてしまった学習の遅れを一人で孤独に挽回することがいかに大変かは容易に想像がつく。
こうして考えてみると、今の制度は教育を提供する側に軸足があり、それを受ける子供は「教育を頂戴する」側という位置づけに見えてくる。
でも制度上にどのような根拠があったとしても、学校側が不登校期間中の学習の機会を保障していない現状は問題だと感じる。
文科省は調査を積み上げ、審議はしているようだが、具体的な取り組みが見えないまま時間だけが過ぎている印象も否めない。

極端な話だが、いっそのこと放送大学みたいな「オンライン小中学校」とかはどうだろう?
NHKEテレのような学習補助的な内容ではなく、学校と同様の授業番組を配信するのだ。
塾や家庭教師でサポートというのも、家庭に経済的余裕がなければ難しいが、これなら誰でも受けられる。

先のROCKETは、エジソンのような学校に馴染めなかった異才を育てることが目的だという。
様々な才能や個性を伸ばし教育を提供できる場所、それが校舎の中だけに限るという考えは、もうとっくに時代遅れではないだろうか。